104歳でも自由に元気に生きる!私のおばあちゃんが実践したボケないご長寿術

今回のGWの一番の目的。それは104歳になった祖母に会うことでした。

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地域最高齢になったのが昨年のこと。それから記録をキープし続ける彼女は、現在老人ケア施設でお世話になっています。

私の年齢からすると祖母が明治生まれというのはかなりの高齢なのですが、私の母が戦前・戦後を狭んでうまれ7人兄弟の末っ子。ちなみに一番上の従姉と私の妹との年齢差は親子レベルっていうか、妹の義理の父と同じです(笑)。

現在近くに住んでいる次男でも71歳の老老介護になってしまうため、100歳を前に老人ケア施設に入居しています。ただし、その施設からは自宅が見えるぐらいの距離で、車で5分。

みなさん、104歳とかってだいたいテレビのなかのご当地インタビューで遭遇するぐらいかと思います。

うちの104歳は、こんなかんじです。

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(※顔がちょっと険しいですが、iPhoneを向けているからです・・・不信感たっぷりです)

つやつやです。

2年ぶりの祖母は、最初のうち何度言っても私の名前を「だれや」「久美ちゃんか」と別の従姉と混同していました。でも、しばらくすると脳のスイッチがつながってきて、私の名前を連呼し続け、そこから私の痛いところを突く会話をし、歌まで歌います。それも、かなり大きな声で。

記憶のつながりをちゃんとフォローして、会話をすること。これは家族でしかできないケアです。

歌はいつもご機嫌になると飛び出すのですが、毎回レパートリーが違うらしく、誰からもリクエストを受け付けておりません(笑)。ちなみに、100歳の祝典では「津軽海峡冬景色」だったそうです。

体調はともかく、この記憶力はどうやって維持していたのか?

私が知る限りでいくと自分でもボケないように意識をして行動していました。

①新聞好き

毎日読んでいました。

新聞がカラーになったことに対し、

「広告ばかり増えていかん」

とぶつぶつ言いながら、老眼鏡の下に大葉の葉をつけながら「視力をなんとか良くできないものか」と試していたのも目撃しました。80過ぎても、視力を上げようとは・・・!

あくなき努力家。

②常に調べ・メモをする

7人の子供に孫17人もいるのにもかかわらず、90手前で16番目の私がいる会社の社長の名前まで調べ上げ、メモを取っていました。

もちろん、それを書いてあること、私が来たら「ゆうこに言わなきゃ」と思うこと・・・

考えることを常に意識していました。

③ライバル意識を持つ

5人いる娘、すべてがライバル。新聞を読むこともですが、一時期大学の通信教育も受けていたそうです。

もちろん勉強意欲もあるのですが、まず負けたくない・知らないことがあるのがくやしい。

ケア施設での運動会でのパン食い競争でちゃんと取れたことに大満足した笑みが記録されておりました。

④何でも良く食べる

好き嫌いはなく、なんでもよく食べています。ケア施設の紹介文にも書かれていますね。

よく噛むかといえば、夫に先立たれ、50年以上片親ライフを送っていたので、早飯。

プリンは飲み物のようにペロリ。

スイカはもっとすごくて、志村けんがコントでやる一瞬で食べる芸のスピード。

これがボケ防止にどうかというと疑問ですが、食に対する好奇心も強いのもポイントではないでしょうか。

そして、何よりも本人の「もっともっと生きたい」という欲です。

彼女のその意気込みを感じるエピソードがあります。

実は末っ子である私の母は52という若さでなくなっているのですが、彼女を弔うために父、私、妹の3人で祖母を連れて思い出の海に行きました。

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当時、私が26、妹は19でした。

しんみりとしながら、連れてきてあげれてよかったねー、と語り合い、最後に写真を撮ろうとすると

祖母はまず

真ん中は死ぬから嫌だ

と断固拒絶。

ちょっとちょっとちょっと~、母を亡くした姉妹よりも間違いなくあなたが先でしょ?

っつか、娘まで亡くしたらうちのおとんがショックすぎるじゃーん!

これですよ。いかなるときでも自分の主張を持つ。そして、ちゃんと言う。

ストレスはためない。

その結果、100歳越えを望んでいたかはわかりませんが、いまも元気に毎日を過ごしています。

ちなみに、祖母に「104歳だねぇ、すごいねぇ」と言ったところ

「104かー、おっとろしやー!!(おっそろしいわー)」

とニコニコしながら返してくれました。

これからも笑顔で、幸せにいてくれること。

長生きかどうかはあくまでおまけ。

それが私の願いです。



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