【メディア力をあげる14】元IKEA広報に聞く その戦略とトリビア SDGsへの取り組み

音声型SNS「クラブハウス」を利用し、毎週月曜日20時から行っているオンラインイベント「メディア力をあげる」。

 

13回目となった2021年5月24日(月)は、元IKEA Japanの広報だったファビュコムの草間由紀さんをお迎えしての1時間でした。

 

音声型SNS「Clubhouse(クラブハウス)」というのは、様々な人が集まってただ話をするだけの場でもあったり、セミナー形式など様々なスタイルのコミュニケーションが音声のみで行われています。

それぞれ素敵な内容だと思うのですが、この「メディア力をあげる」では、毎回メディアに携わる1人をゲストに迎え、私と「まえとあと」の望月大作さんがインタビューする形式をとっています。

その1人から見た、メディアのお仕事の世界。

 

こうやってきた、こうすればよかった、こうしていきたい。

 

1人が経験した世界を、リアルな言葉でシェアしていきます。

 

 

毎回ツイッターでハッシュタグ「#メディア力をあげる」でメモを公開していますが、それをざっくりとまとめてみました。あくまでもまとめであり、1時間超の内容のほんの一部です。

 

■日本とヨーロッパ それぞれのライフスタイルの魅力を伝えたいという想いからスタート

草間さんは、子供の頃はベルギーに親の仕事の関係で在住。その経験から、「日本とヨーロッパのそれぞれのライフスタイルのいいところを伝えていく仕事をしたいなぁ」と思っていた。そんな思いを持ちながら、英文科を卒業後に商社へ。ただ、配属先は材料調達系の硬めの分野で、モエヘネシーディアジオをに転職。その後キャリアチェンジのなかで、英ドラッグストア系のBootsの1999年の日本上陸事業に関わった。残念ながらBootsは日本撤退することに。また別の化粧品ブランドに関わったのち、2006年の日本再上陸のIKEA広報に転職することに。

 

 

■IKEA=創業者の精神を受け継ぐ企業

IKEAは新規国や新店舗の展開は、土地を買うところから始まります。そういった部門の担当者は2002年頃から動いていたようです。その基準は、主要の高速道路や空港の近くが1つの条件。組み立て式家具を販売しているので車で来る人が多い、そしてコストに厳しい会社なので、「都心部には作らない」と当時は徹底していたそうです。

日本進出が決まると、その募集は基本的にはIKEA全世界の社員から募られる。ただ、日本に関してはみんな行きたがらなかった(笑)とか。その理由としては、化粧品の市場としては日本は世界第二位だったが、家具の市場としてみたときはとくに小さく、アテンションがなかった。

IKEAは出店時、店舗ごとに店づくりのためのリサーチを行うのは有名です。草間さんが在職していた当時の千葉・船橋や横浜・港北への出店でも、近隣の商圏としてマンションやアパートでサイズを測ったり、家の悩みを聞いていったりした。さらに、ショールームと呼ばれる部屋は、船橋と港北では違うものを作っていた。港北は若い夫婦が多い、子供部屋のスタイリングを多く並べていました。

IKEAの精神は、創立者のイングバル・カンプラード(Ingvar Kamprad)に集約される。彼は残念ながら2018年に亡くなっているが、80代すぎても本オープンのときには自力で日本に来ていたそうです。1943年、まだ彼が10代のときに住んでいたエルムフルトという村では、日常的に火をおこす時はマッチを使っていた。そのため、最初はマッチを売るところからスタート。その後、戦後には都市部に人が住むようになるだろうと、家具の事業にシフトした。

1951年からカタログ販売を開始。そして、組み立て式になったきっかけは、スウェーデンでは毎日牛乳配達があり、その荷台に商品を載せてもらうにはということがきっかけだったそうです。レストランも、当時から「家具を見に来たら、おなかがすくよね」ってことでできた。いまの言葉でいう、インサイトを感じつつ作ってきた歴史があります。

スウェーデンに1958年にお店ができたところから、ノルウェーに出したり、ストックホルム、デンマークと実は当初は少なかった。その後、1973年にスイスに進出。1980年代になってからフランス、アメリカに上陸したあたりから出店が加速していきます。

ここで1つ、トリビア。最初のロゴは、白地に赤の「IKEA」ロゴだった。海外進出を積極化するにあたり、ブルーボックスというスウェーデン国旗に合わせたロゴに1980年代から変更しています。

 

■SDGsの考え方がなかった時代から取り組んだ生産現場の労働環境整備

IKEAの日本上陸が遅かったのは、まず進出するならば生活様式が似たところからというのがあった。その結果、日本は34か国目。

IKEAは生産拠点を持っておらず、作りたいものの素材がある地域の工場と契約します。ただ、その過程で労働環境が整備されていないことが判明するなどあったため、1990年代からユニセフなどの専門機関と一緒にいろいろなプロジェクトを立ち上げています。当時は「SDGs」という言葉もありませんでしたが、その後ミレニアム開発目標(MDGs)を経て、現在につながっていることを考えると、SDGsの先駆者的企業であったと言えるのではないでしょうか。

ヨーロッパには「ノブレス・オブリージュ」という考え方がある。

IKEAの考え方としては、金銭的なものを与えることも一つの方法だが、それだけでは本質的には解決できないだろう。ただ与えるドネーションではなく、なぜ児童労働が起きてしますのかとういう根本的なことから改善していこう。村の女性たちに自立した経済力をつけさせ、子供を学校に行かせる、学校に入る前のプレスクールで社会の知識を教えるなどの環境改善から行っていきました。

また顧客を巻きこんだCSR活動も行ってきた。その一つが、人気商品の動物をモチーフにしたソフトトイ(ぬいぐるみ)を使ったキャンペーン。安いものは90円から、上限2000円ぐらいですが、毎年クリスマス前のソフトトイキャンペーンとして1個売れるごとにIKEAが1ユーロをユニセフおよびセーブ・ザ・チルドレンズに寄付をする活動を20年近く実施しています。

ソフトトイ「SAGOSKATT/サゴスカット」限定コレクションの売上金で、2020年7月には足立区立亀田小学校の図書館改装が完了(イケアジャパン ニュースリリースより)

 

■CSRを伝えにくい日本の環境

草間さんが当時を振り返ると、IKEAは先のような素晴らしい活動を多々行っていますが、それを広報として伝えるよりもIKEAそのものや商品のPRばかりしなくちゃいけない状況だったそうです。その理由として大きかったのが、ほかの国では生まれたときから店舗があるほど歴史があります。ヨーロッパでは環境に対する興味も深く、生産の部分でどれだけ環境に負荷をかけない取り組みをしているかが企業として重要視されていました。2006年当時、ヨーロッパのPRのひとたちはCSRについてのコミュニケーションを重要視していました。一方日本市場では「家の中を生活にあわせてカスタマイズする」という考えを促進することが(日本でのビジネスを拡大していくための)重要課題で、CSRについての発信まで至らなかった。

その後、草間さんは2010年に退社します。

 

SDGs元年の2016年、IKEAももっとアピールできたのにと、退社してからIKEAを見ていると感じているそうです。

現在のIKEAは郊外型から、都心部に小さな店舗を作るというグローバルな流れがあります。2021年5月には新宿に新店舗がオープンしました。

イケア新宿店の外観と店内(イケアジャパン ニュースリリースより引用)

 

■今度は日本の伝統技術を世界に紹介する事業へ

草間さんはIKEA退職後、化粧品サイトの立ち上げにかかわったのち、2012年から独立。2017年から会社組織 ファビュコムを設立します。

やはり草間さんにとってやりたいことを考えていくと、ヨーロッパの企業の日本進出、そして日本のものを海外に紹介する活動をやりたいなと探していた。

2020年からは、JETRO(日本貿易振興機構)の専門家として中小企業の海外進出の活性化をサポートするのを始めています。

 

「日本のものづくりってやはり優れている。ブランディングというものを考えなくても大丈夫な国なんだなとも思った。商圏も自然と分かれていたり、説明しなくてもわかってくれるというのが根底にあるのかもしれない。でも、いいものを作っているのに知られていない」

 

「まず商品そのものはどうかより、その企業自体にどんな歴史があって、どんなことが得意なのか、という”自己紹介”をしないと海外では伝わらないでしょう」という話をしているそうです。特に今はコロナで海外の展示会や商談会など対面でできないので、オンラインでも海外にアピールできるブランディング重視の資料を作るお手伝いをしています。

JETROを介しない直接のやりとりしている企業の1つは、山形県のIBUKI。BtoBの世界では有名だが、まだ知名度が低いtoC向きのお手伝いをしている。「ガラスのグラスでは作れないものをプラスチックで作っていこう」と、世界有数の技術を使って作っている。2020年には、樹脂製のビアグラスを販売するオンラインサイトをオープンしています。

JETROでは今治タオル、但馬のヒノキを使ったカッティングボードなどをヨーロッパに持っていくお手伝いをしています。コロナ禍により海外を訪れてのマーケットリサーチができないのが痛手ではあるが、日本の優れたものを海外に持っていくことに専念したいと語ってくれました。

 

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ここからは追加の質問コーナー。

#メディア力をあげる では、プログラム終了後にリスナーから募るのではなく、過去に登壇した方に参加していただき、質問をしてもらっています。

その理由はいろいろあるのですが、大きいのは場のイメージを共有できていることが大きいです。きたもと自身がモデレーター慣れしていないので、そこをコントロールした質問をしていただいています。

 

そこについては、当方のTwitterをご参照ください。

 

 

 

次回は、SUZU PR COMPANYの鈴江恵子さんがゲストです。

中川政七商店の広報から独立し、高級食パン専門店「考えた人すごいわ」、お好み焼きの「ぼてぢゅう」などのPR業務を担いながら、その手法をリアル店舗で伝えるカフェ「プルミエメ」を代々木にオープン。新しい販促手法を実践する場としても機能するカフェを作った経緯とその手法を伺います。

 

すみません、15回が正しいです・・・。

 

ちょうど29日土曜日の「王様のブランチ」でも「すず。」さんとしてオリエンタルラジオの藤森慎吾さんから取材を受けていた模様。

お楽しみに!

 

 


これまでの登壇ゲストは

第1回 いしたにまさきさん「Clubhouseの原稿ってどう書くの?」

第2回 ライター納冨さん「フリーライターってどうやってなるの?」

第3回 ユーハイム 広報 佐々木さん「企業広報から見たメディア」

第4回 横浜中華街 専務 石河さん「横浜中華街のいまを知る」

第5回 元ウォーカー総編集長 玉置さん 「紙からネット、その先へ」

第6回 横浜LOVEウォーカー編集 山本さん 「令和のUGCって何か教えてもらうの巻」

第7回 ライター永田さち子さん「旅ライターの現在地 みんなどうしてるの?」

第8回 フリーランスPR 出口治さん「ライフスタイル系PRってどうやってなるの?」

第9回 IBM 岸本拓磨さん(元某テレビ局勤務) 「テレビ局の『番組を作る』以外の仕事を学ぶ」

第10回 三重大学 国際忍者研究センター 准教授 高尾善希さん「時代考証のウソと創作のラインをどう引くのか 歴史学者の見解」

第11回 ローカルメディア「ZUSHIRECO」來島さん

第12回 講談社 スズキさん 「出版社が出版を続けるためにいま踏み出す新ビジネス」

第13回 元Uber Japan 立ち上げメンバー 北尾さん

 



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