2008年08月05日 15:14
【8月5日 AFP】「六次の隔たり」という言葉がある。世界中のどの人とでも6人介在させるとつながりができるという仮説だ。米マイクロソフト(Microsoft)が2006年に行った調査は、この仮説が正し……
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SNS「GREE」の名称の元になっている6degree節(世界中のどの人とでも6人が間に入ればつながることができる)がある意味で証明されたということでしょうか。
「よくその人の素性は知らないけれども、なんとなくつながる」という行為が携帯電話、ネット、SNSなどの発達で増えていると感じることが、個人的には増えました。
逆もまたしかりで、私のことをよくは知らないけれどどんな人か知っているというように、文脈的にも「よくは知らない」と「どんな人か知っている」が並列しても成り立ってしまうんです。そんな不思議な関係性を客観視せざるを得ない瞬間として一番感じるのは、その人のことを指す言葉として「親友」「友達」「知り合い」「あったことがある」などのどれを使うかということ。
会ったことがなくとも、長い間手紙やメール、ネット上で言葉のやりとりを交わす中で「親友」と定義することもできるだろうし、パーティなどで何度会っても名前が覚えられず「あったことがある」の域をどこまでも脱しないことも。
6degree論は、ネット社会が発達した今では、MSのツールを使っている人がすべてではないことも鑑みると、もっと小さな数字になっているのでは?