日本人だってニュージーランドの地震のときや、NYの9.11テロで帰ってきた人がいるように、至極当然の行為だと思います。
一方で、日本に残り、何かをやりたい、やろうとしている人がいることを知ってもらえればと思い、アップします。
オランダ人の友達、Monique Van Kerkhofは、私の東京での母親的存在で、地震当日も心配して連絡をくれた人。
先週、震災以降初めて会える予定だったのですが、私が体調を崩してしまって会えずじまいに。
そんな彼女から、先ほど週末に何をやっていたかの報告が届きました。
何人かで連れ立って、大船渡に行ってきたそうです。
彼女はブログを持っていないのと、日本語では書けないので、こちらでアップしておきたいと思います。
(※ブログを見て「More images I like to share」というメールが来たので、追加更新しています。)
メンバーはオランダ人の彼女に、イラン人、他の混成チーム。
届けたのは、食べ物や衣類、そしてペルシャ絨毯!
Monique:I went there last weekend to deliver food, clothes and carpet Persian…

インターナショナルチームゆえに、文字も英語、外国人が書いたっぽい日本語、アラビア語(?)
日本人、いたのかしら…
ちなみに、モニークは日本に住んで長いですが、文字はひらがなの一部、会話も流暢ではありません。
彼女たちは現地で、汚れたかばんと乾いた布団を持って歩いていたおばあちゃんに出会います。
彼女は、津波で壊れてしまった自宅に数年前に亡くなったおじいちゃんとの思い出の品を探しにきていました。
Monique:Grandma just came walking back from her ruined house, down the valley..
She approach the Van, loaded with goods to give away.
She was carrying a dirty bag with a blanket, not a heavy suitcase as I though before.
The blanket was still in good shape and dried up.
She found some souvenirs of her and her husband who died years ago I think.
おばあちゃんは、瓦礫のなかから見つけ出した、まだ濡れている箱を見せてくれました。
She showed it to me in the van. Her just found precious belongings. still wet in the box.
大切な珊瑚のアクセサリーです。
その後、避難所となっている丘の上の学校まで車に乗せて送り届けたそうです。
帰り道、彼女が教えてくれた道が間違っていて、大冒険になってしまったみたい(笑)
おばあちゃんはうれしかったのでしょうか、たくさんたくさん話してくれたのですが、方言ということもあって、全部は理解できなかった模様。
Monique:We brought her back up the hill to the shelter, lucky we did, it was still a long walk for her.
Funny she pointed the wrong way, we ended up on a dead road, up hill and had to make a scary u turn
She kept talking constantly during the ride, she had so much to say…..
ペルシャ絨毯を子供たちにプレゼント。2010年だっていいじゃないか!
在庫だっていいじゃないか! あげる人だって大変なんです…
住人たちは毎日自分の家を探して歩き回っています。
Monique:Everyday the villagers are going back searching through their house.
こちらの女性は、娘2人を亡くしたそうです。
The pics of the owner, the woman in peach jacket, lost her 2 daughters
Monique:Again the Japanese people were so strong dealing with the situation.
and kind to us as well
I was so impressed
このような状況下でありながらも、日本の人々はとてもたくましく、私たちにもとてもやさしかったことに心を打たれ、東京に戻ってきました。
そして、彼女が見た被災地の様子です。
避難場所となる丘陵にまで波が押し寄せた様子が伺えます。
現地に駆けつけた彼女ですが、不安はたくさん抱えています。
周囲のオランダ人は、早々に帰国。
震災、津波までは理解できても、原発となると不安度レベルは飛んでもないことになっています。
それでも日本に残って、仕事が止まっているなか何ができるかを考え、動いてくれています。
「何かあって東京が危なくなったら、一緒に家族も連れて大阪に行けばいいから!」
いまの私が、彼女の不安を解消してあげるために言えることはそれしかありません。
そんな日がこないように、原発の進捗をいまはただ事態を見守ることしかできないのが本当にもどかしいです…
皆が彼女のように直接現地にいけるわけではないし、いくべきだとは思いません。
それぞれが、やれることをやる。それでいいのではないでしょうか。
それは募金かもしれないし
節電かもしれないし
いつもより仕事を頑張ってお金を稼いで飲んで消費することかもしれません。
阪神淡路の復興を思い出すと、1ヶ月後、2ヵ月後になって必要になってくる支援が都度あります。
求められる支援の形は、日々刻々と変化しています。
あれができないからもうやらない、ではなく、自分の足元から、片足踏み出した位置からできることが見つかったらでもいいのではないでしょうか。