ラップ調? 般若心経を現代語訳するとこうなるらしい

私は一応、浄土真宗らしい。

らしい、というのは、キリスト教のような洗礼を受けた記憶もないし、菩提寺もないし、両親の墓も各宗教混在型の場所に墓地を買って収まっているため、宗教の基準といえば唱えるお経が「南無阿弥陀仏」らしいという程度。

集会などに参加する必要もなかったため、宗教色はないものの、親の葬儀のときに「東本願寺だっけ?西本願寺だっけ?」とわからなかったときには、ちょっと情けなくなりました。

昨年、母方の祖父の50回忌があったのですが、そもそも50回忌を行う家族も少なく、祖母が103歳で健在のためやったのですが、これも時代の流れでしょうか。地方都市の電車が1時間に1本しかこない田舎のじいちゃんばあちゃんたちでさえ、宗教への帰属意識は薄くなっていました。いや、お供えなどの物にはこだわるものの、時間の省略には喜んで!という意味で。

お坊さんによると50回忌は正式には2時間以上かかるところ(回が増えると、お経も延びるらしい)、省略して1時間という時代ですから。その孫の世代だといたし方ないのかもしれません。

とはいえ、自分の先祖が信じてきた宗教について、知りたくないわけではありません。

いちおう、手塚治虫の「ブッダ」も読んだし、大学の研究テーマが異民族問題だったこともあり、各宗教が及ぼす民族問題などの本も読んでいるほうだと思います。

それなのに、盲点があった。(←某CM風に)

般若心経の意味、知りませんでした。

そんなことを気づかされたのがこれを見つけたから。

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※画像クリックすると拡大できます

こんな意味なんですね。

Souljaの「ここにいるよ」のラップ調に読むのがおすすめ。

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般若心経 現代語訳

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。もっと力を抜いて楽になるんだ。苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ。安心しろよ。

この世は空しいモンだ。痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。この世は変わり行くモンだ。苦を楽に変える事だって出来る。汚れることもありゃ背負い込む事だってある。だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?苦しみとか病とか。そんなモンにこだわるなよ。見えてるものにこだわるな。聞こえるものにしがみつくな。味や香りなんて人それぞれだろ?何のアテにもなりゃしない。揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。それが『無』ってやつさ。生きてりゃ色々あるさ。辛いモノを見ないようにするのは難しい。でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。無理して照らそうとしなくていいのさ。見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きてる実感ってヤツなんだよ。正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ。苦しんで生きる必要なんてねえよ。愉しんで生きる菩薩になれよ。全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな。適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。非情になれって言ってるんじゃねえ。夢や空想や慈悲の心を忘れるな。それができりゃ涅槃はどこにだってある。
生き方は何も変わらねえ。ただ受け止め方が変わるのさ。心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。意味なんて知らなくていい。細けぇことはいいんだよ。苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる。そういうモンなのさ。今までの前置きは全部忘れても良いぜ。でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

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完全に合っているかどうかはともかくとして、まずはメモ。

色即是空とか、書いてある意味はわかっても、こういうストーリー風に書くとわかりやすいですな。



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