今シーズン、1度も欠かすことなく最終回まで見たのがドラマ「アンナチュラル」。
架空の「不自然死究明研究所(UDIラボ)」を舞台に、死因がわからない遺体の声を聞くことで原因を究明していく法医学ミステリー。
アンナチュラルは原作がないオリジナルドラマで、脚本家の野木亜紀子さんのツイートによると検死や解剖を扱ったドラマといっても、どこを軸にしているのかはさまざまのようです。
きらきらひかる=監察医務院
ブルドクター=法医学教室
ゼロの真実=監察医務院
臨場=警察所属の検視官で解剖資格なし
BODERの波瑠さんの役=海外の検死官制度を模した解剖する検視官(架空)
アンナチュラル=UDIラボ/不自然死究明研究所(架空)
— アンナチュラルな野木亜紀子 (@nog_ak) 2018年1月15日
不自然な死=アンナチュラルな死の原因を解明する。
実は私も、親族を「アンナチュラル」な死で亡くしています。
「Hくんが自宅で死んでいて、いま警察に運ばれている」
そう電話を受けたのは、夏は過ぎたものの、まだ暑い日でした。
大阪の同じ市内で育った従兄でした。当時35歳。三兄弟の真ん中で、騒がしいほかの兄弟に比べるともの静かな性格で、高校生だった彼が勉強する部屋の隅っこで「Drスランプ」を読んだのが、私の漫画デビューでした。
彼が亡くなる前年の12月に私は母を病気で亡くしました。従兄は、その葬儀にも東京から来てくれた、やさしい人でした。その後、「僕が近くにいるから」という手紙もくれました。
収容されている警察に確認に親族としていけるか、といわれたものの、26歳の私にはあまりに荷が重く、それに行ったところで何ができるわけでもありません。そのため翌朝、彼の家族の上京を待って、立ち会うことになりました。
その際に訪れたのが、大塚にある東京都監察医務院です。
このホームページには、東京都監察医務院は「東京都23区において死因がわからず急に亡くなられた方々や事故などで亡くなられた方々の死因を明らかにしています」と書かれていますが、現実的には従兄の死因は明らかになりませんでした。
従兄は1週間体調不良が続いていて、病院にも行っていたそうです。勤務先に連絡がなく無断欠勤だったため、同僚の方が家を訪れたところ、亡くなっているのが見つかりました。推定時刻は、朝7時前後。
一旦収容された警察から、死因不明のため、こちらに運ばれたそうです。
母を亡くした際も、使い物にならなくなっていた父の代わりに「母は死にました」「家族が1人減りました」とお役所などに提出する書類を書き込む役目をして間もなかった私は、ここでもなぜか頼りにされてしまい、伯父や彼の兄弟の代わりに書類に記入したのを覚えています。
罪を犯さずに強いられるもので、人生で最もつらい罰って、きっとこれですね。
心が全く追いつかないのに、自分にとって大切な人が「死にました」と認める書類を何枚も、何枚も書くのです。その場のなかで「経験者」だった私は、痛みがわかる分、伯父たちにすべての記入を強いることはできませんでした。
警察から監察医務院に運ばれたものの、所見では死因はわからず、死体検案書には「死因不明」のみ。個室などではなく、窓口みたいなところで伯父の代わりに遺体の受け取り書類に記入をし、その後はじめてお兄ちゃんにあいました。
私もそれまで見たドラマのように、所見で死因がわからなかったら解剖されるものだと思っていました。解剖には実施されるまで時間がかかること、そして体調不良が続いていたという事実があったため、解剖はされず原因不明の病死と処理されたようです。
そこから、お兄ちゃんが最期を迎えた家の掃除をし、彼が大学生活から10年超を過ごした東京と、実家のある大阪のどちらで葬儀をするかなど、あらゆる手配に関わりました。
なぜ亡くなったかわからないまま、倒れていた現場も、伯父や従兄たちと片づけました。「お兄ちゃん、ごめんね」と心のなかで詫びながら貯金通帳を開き、スカパーの引き落としを見つけたときは、「ゆうこは流石だ」とほめられたのを覚えています。
翌月末の最後のマンションの引き渡しの日も、私が立ち会いました。自殺や他殺ではないとはいえ、不審死を遂げて事故物件になってしまうだろうに、不動産屋さんはとてもよくしてくださいました。鍵にはお兄ちゃんがずっと使っていた、丸い革のキーホルダーがついていたのですが、その金具がとても硬く、どうしてもはずすことができません。目に涙を浮かべながらなんとかしようとする伯父を説得して、それをつけたまま返却しなければならなかったことを今でも悔やんでいます。
金曜日のドラマ最終回終了後に放送されたNEWS23では、法医学の現場問題が報じられていました。法医学を学んでいても、その就職先となる現場の数が足りないと。小説から映像化もされたチームバチスタシリーズなどでも日本の解剖数の少なさは取り上げられていましたが、何年経ってもその状況は変わっていないようです。
一方で、解剖を受けられず、原因不明のまま死を受け入れなければならない人たちがいます。
なぜ亡くなったのか
それがわかるだけでも、辛い気持ちは少し減ったであろうことを私も知っています。
「アンナチュラル」な死は、事件や事故じゃなくても、すぐそばにあるのです。
本人はもちろん、残された家族のためにも、解明できる早急な環境づくりを願っています。