【メディア力をあげる13】「コロナ禍を経て企業ーヴィジョンベースで仕事をするー」Uber Japan立ち上げメンバー 北尾恵子さん

クラブハウスで毎週月曜日20時から行っている「メディア力をあげる」。

 

13回目となった2021年5月17日(月)は、元Uber Japanのコミュニケーションマネージャーだった北尾恵子さんをお迎えしての1時間でした。

 

クラブハウスというのは、様々な人が集まってただ話をするだけの場でもあったり、セミナー形式など様々なスタイルのコミュニケーションが音声のみで行われています。

それぞれ素敵な内容だと思うのですが、この「メディア力をあげる」では、毎回メディアに携わる1人をゲストに迎え、私と望月さんがインタビューする形式をとっています。

これにはいろいろ理由があるのですが、1つは私が「個人の経験が一番面白い」と思っていること。そして、クラブハウスでは、どうしても1人が話続けると「場を乗っ取っている」というふうになってしまうパターンが多いので、それならば最初から1人の話しか聞かないルームでやれば面白いのでは?と思った次第です。

 


 

北尾さんのお話は、Twitterでハッシュタグ #メディア力をあげる でメモを流していますが、ここではそれをまとめておきます。

 

北尾さんは、アメリカの大学を卒業後、契約社員などを経て、PR会社 フライシュマン・ヒラードに勤務。クライアント側の企業に勤めたくなってロシア系のコンピューター企業に転職。

 

Uber Japanには最初3人の状態から参入。

需要と供給というところで、北尾さんは需要を生み出す部門としてコミュニティマネージャーとして担当。最初は広報的な役割を行っていた。当時は役職が3つしかなくて、北尾さんはコミュニティマネージャーだった。フライシュマンのときに経験した広報や企業との協業のビジネスデベロップメント、お客様からのカスタマーサポート、SNSなどなんでもやっていたといいます。

日本上陸前の海外の事例で、ライドシェアというサービスによってこれまで仕事を得ることができなかった女性などがドライバーとなり、稼いで夢を実現していく世界を見て、入社を決めたそうです。

自分が入社する際にもリクルーターが言っていたのは相乗りサービスの利用で結婚した人がいるなど「人の幸せを増やすサービスである」ということ。その想いもあり、北尾さん自身が採用に関わるなかでは、大きくなるまでは、ビジョンやパッションを重視して入社してもらっていたそうです。

その当時、ライドシェアなんて言葉は普及しておらず、日本語の「配車サービス」って言っても「歯医者?」っていわれるぐらい認知度がなかったといいます。

採用では、エンジニアは日本では採用しなかった。Uberの場合、2015年当時でアメリカの社員の半分はエンジニア。各都市にチームがいるが、エンジニアはアメリカに集約。小さい領域でテストすることをよくやっていた。

テストを象徴するのが、「Hackする」という文化。Uber Eatsが生まれたのは、スタッフの1人が「ランチとか食べたいかも」「車に積んで届くのはどうかな?」っていう発想から。車のアプリにランチというボタンを作って、200食とかかかえてデリバリーするというのをやっていた。

面白いことをやってみる=Hackする。

 

エンジニアはアメリカのみしかいなかったが、サービスのアイデアや普及させる方法についてはローカル(各地域、ここでいうと日本支社)が主導権を持っていた。

日本だと法律の問題でライドシェアができない。そこで京丹後市で行った実証実験では、乗り合い形式にし、おじいちゃんおばあちゃんたちに合わせて現金で使えるようにしたり、町のスーパーや電機屋さんで代わりに貸与されたタブレットを使ってサービス提供をした。

 

現状、Uber Eatsはずっと赤字。これが必要という未来を信じてくれている投資家さんや株主のおかげで成り立っている。

 

ーーーーーーーーーー

 

2021年5月、北尾さんはUber Japanから解雇されてしまいます。その解雇は、全世界で4分の1の社員が対象になったものでした。

北尾さん自身からみて、解雇の事案になったのは「需要」担当だったのが大きかったと見ています。当時は、Uberに乗るな、というキャンペーンなどを最後に担当していたタイミングだったそうです。

その当日、5月18日深夜0時にいきなり社内システムにアクセスできなくなり、解雇される人は、翌日の夜6時までに荷物を出せと。そこから同じようにアクセスできなくなった人とslackを使って情報を共有したといいます。会社から貸与されていたパソコンはもらえたそうですが、なかのデータには一切不可能に。今後の人へのアドバイスとしては「ローカルには絶対保存するな」

 

その後、北尾さんは退職エントリを書いているのですが、結果、それがご縁でお仕事につながっているので書いてよかったと思っているそうです。

 

 

「昔の転職は、隠し事だった。いまはオープンにしていくべき」

 

 

ここから後半で、Uber Japan退職後に取り組んでいること。

 

助け合う、コミュニティが大切だと思っている。横でつながり、助け合うというところで、コミュニティを作っていくというのがキーワードになった仕事をしている。

その1つが、私も内覧会に伺った東松原にあるコミュニティカフェ「はぐくむ湖畔」。こちらではワークショップ、シェアハウスのほか、助け合う仕組みを作っていくビジョンを持っているカフェのお手伝いをしています。

 

「心理的安全性のある会社を作りたい」とUberで働いて強く思うようになった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

以上です。

 

1時間のなかでのモデレーターをやりながらのTwitterメモなので、かなり部分的ではありますが、こういうお話を毎週1人の方にしていただいています。

 

 



CULTURE】の最新記事